四日市ぜんそく

四日市ぜんそくは、三重県四日市市(塩浜地区を中心とする四日市市南部・中部)と三重郡楠町で1960年(昭和35年)から1972年(昭和47年)にかけて四日市コンビナートから発生した大気汚染による集団喘息障害である。四大公害病の一つ。漢字では、「四日市喘息」と表記する。水質汚染を含めた環境問題としては、「四日市公害」と呼ばれている。公害発生当時は別名「塩浜ぜんそく」(四日市市内で使用された名称)・「四日市のぜんそく事件」(国会内で使用された名称)と呼ばれていた。


大規模な石油化学産業の四日市コンビナートが建設された事によって四日市市が工業化された。工場の生産活動で大量の亜硫酸ガスを排出した。地元三重県の三重大学医学部公衆衛生学教室に所属していた吉田克巳教授(よしだ かつみ)(1923年(大正12年)生まれ~ )ら医学者や環境学者は、原因不明の喘息などの疾患の原因について学術調査を行なった。公害患者が発生した塩浜地区が、四日市コンビナートの亜硫酸ガス排出源の風下の位置であり、地理的に亜硫酸ガスの着地点でもあることから、亜硫酸ガス濃度が高い塩浜地区で喘息発作が多発したので、四日市ぜんそくは亜硫酸ガスが原因であるとした。三重県四日市市で(塩浜地区)に第1コンビナートが操業を始めた事を発端とする。公害病裁判が1967年(昭和42年)から1972年(昭和47年)に行われた。昭和47年7月24日の津地方裁判所四日市支部の判決では原告の請求を認容し、第1コンビナート(塩浜地区)と第2コンビナート(午起地区)に進出した主な四日市コンビナートの企業が被告となり、(石原産業、中部電力、昭和四日市石油、三菱油化、三菱化成工業、三菱モンサント化成)などの企業が排出した亜硫酸ガスによる大気汚染が原因としている。

高度経済成長による経済発展の代償

当時の三重県知事と四日市市長など政治家の関与があり文系出身の政治家であったので、経済的には三重県の1人当たりのGDPを2006年(平成18年)時点の統計では、各都道府県別の順位で(1位)東京都(2位)愛知県(3位)静岡県(4位)神奈川県に次いで三重県が上位の5位となっており、三重県は田中覚が知事だった高度経済成長期には、四日市市に四日市コンビナートが誘致されて、四日市の石油化学産業が発展した事と、田中覚三重県知事によってホンダ(本田技研工業)が誘致されて鈴鹿市の自動車産業が発展した事で、経済成長率が平均13%を続ける事となる脅威の経済成長をした。
平成期にも急激な経済成長をしており、北川正恭三重県知事によるシャープ亀山工場の誘致と新名神高速道路が開通した2000年代には、全国の都道府県で第1位になる10年間で7%の経済成長率を続けている。リーマンショック後の2009年(平成21年)には、製造業の不振で各都道府県別の統計で、1人当たりのGDPの順位が15位まで後退したが、翌年には第6位まで回復しており、三重県は急成長と下降をするジェットコースター経済である。特に四日市市周辺の北勢地域のみではGDPを東京都と愛知県に次ぐまでの経済発展させた功績がある。理系の石油化学関係の知識がなくて大日本帝国期(戦前)の伝統的企業である東洋紡績や東亜紡織(トーア紡コーポレーション)と同じように地域貢献をして、環境保全をすると考えていたため、平田紡績出身の平田佐矩市長はまさか企業が汚染物質を排出するとは思っていなかった事が原因である。

唯一の大気汚染

四大公害と言われた公害病の内では、四日市ぜんそく(喘息)だけが水質汚染ではなくて、唯一の大気汚染であり、公害被害によって居住する事が困難になって四日市の地域環境が悪化した事。高度経済成長の経済発展の代償として公害が発生したことである。そのため、対策が施されることもなく、汚染物質がそのまま排出されていた。水俣病・イタイイタイ病・新潟水俣病との違いは、100%特定企業による特定物質による公害と立証できなった事で、自分の会社が無罪であると主張して、他企業が原因であると主張して、四日市コンビナートは複数の企業があり公害の犯人が特定できなかった事情がある。